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麓直樹プロフィール

私の父、麓邦明は田中角栄の政策ブレーンで、日本列島改造論の土台となった、「都市政策大綱」をまとめ上げた人です。当時、国内外で国民的な夢造りは反響を呼び、1968年のニューヨークタイムズ紙の5面に父のインタビューが掲載されました。その後ろ姿を見て、子供のころを過ごし、早稲田大学で心理学を勉強して、会社員を3年やって、私も政治家の秘書になりました。

その時、父から「俺の繋がりだと、小沢一郎か橋本龍太郎か河野洋平か、誰の秘書がいいか?」と尋ねられ、私は「その3人はもちろん知っているけど、判断はできない。」と答えたら、沈黙が5秒あり、「河野洋平代議士のところにしよう」とアドバイスを受け、河野洋平氏の門を叩きました。それから、約20年間、河野洋平代議士秘書というアイデンティティで生きて来ました。

秘書として、永田町の議員会館で、国の行政府と立法府の仕組みを学び、政党政治の根幹を目にしました。そして、選挙区である地元小田原に夫婦で引っ越し、地元の後援会作りから国政や地方選挙と様々な選挙対策、政治家の地盤固め、中選挙区から小選挙区への移行を経験し、東京に戻ってからは、森内閣、小渕内閣の際に外務大臣秘書官にさせて頂き外務省勤務となり、霞が関も経験しました。2年間でアメリカ、中国、ロシア、EUを中心にのべ38ケ国を周り、小渕総理の日韓閣僚懇談会の際には、外務大臣の御供で政府専用機にも乗るという経験もさせて頂きました。そして衆議院議長の政策担当秘書を務め、河野洋平氏が政界を引退するまでご一緒させて頂きました。

河野洋平氏が政界を引退し、麓直樹も永田町から離れて、財団法人の日本陸上競技連盟に勤めました。
この時期に自分の時間を使うことができ、アクティブ・ブレインやNLPというコミュニケーション心理学の勉強や語学の勉強をすることが出来ました。
そして、平成25年の夏に河野洋平事務所の後輩秘書が国会議員になって、再度、政策担当秘書として永田町に復帰しました。
父の影響を受け、私、麓直樹は人生の70%以上を政治畑に注ぐことになりました。

しかし、平成28年3月26日に死にました。

奇跡的に「強運」に導かれ、この世に甦り、自分の命の使い方を考え、平成29年4月5日に株式会社 麓屋を設立しました。

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